自分の本当の望みを知り、なりたい自分になる
私はどんな自分になりたいの?
「私はどんな自分になりたいの?どう生きたいの?」
この問いに答えられないときの自分は、振り返ってみると自信がなく、なんとなく不安で、未来に生きていく気力がわきませんでした。
でもこの問いに自分が明確に答えれるようになったとき、驚くほど目の前の景色が光を放ち始めます。
自信と勇気がわいてきて、自分を愛おしく思い、生きていくエネルギーがみなぎります。
なぜ、自分のゴールを知ることが大切か
『七つの習慣』という本に、こんな章があります。
「目的を持って始める」
つまり、自分がこの人生の最後に到達していたいゴールを明確にして、今という時間を始めるということ。
10人いれば、10人とも人生の最後にどんなゴールに到達していたいか違うはずです。
ゴールを明確にしておくことは、今の時間をどう生きるかという指標を持つということです。
例えば、
- 「多くの人に愛され、あなたがいてくれたから救われた言われたい」
- 「望むことはすべて手に入れて、なんの後悔もない人生だったと言いたい」
- 「家族円満で暮らして、ささやかだったけど、幸せな人生だったと言いたい」
もし、これらのゴールを設定していなければ、「はしごのかけちがい」が起こってしまうかもしれません。
そして、大切なことを決断するタイミングで、迷いが起こりやすいのです。
みなさんも、のぼりきったあとで「そうそう、こんな景色が見たかった!」と言いたくありませんか?
自分が本当は何を望んでいるかを知る方法
では、自分がどんな人生の到達地点を望んでいるのか、どうすればわかるのでしょうか?
中には、もう思い描けているという方もいらっしゃるかもしれませんが、ここではまだ明確にはわからないという方に向けて、その方法をご説明したいと思います。
先ほど、紹介した「七つの習慣」という本の中に、それを知る有効な方法の一つとして、「自分のお葬式を想像する」というのがあります。
まず、自分のお葬式に集まってくるだろう人を想像します。家族、友人、会社の同僚、その他付き合いがあった人々です。
そして、彼らがそれぞれ、位牌の前で、あなたがどのような人間であったかを語ります。
例えば
- 「●●さんは、いつも笑顔で、会うたびに声をかけてくれて、私の心の支えになりました。本当に感謝しても感謝しきれません。」
- 「●●さんほど、自分らしさを貫きとおした人を知りません。いつも自身にあふれ、人生を心の底から楽しんでいました。そんな姿にとても憧れていました。
- 「お父さん、家族のことを一番に考えてくれたお父さんは、私の誇りです。私のやさしい性格は、お父さん譲りだよ。本当にありがとう。」
問いに答えることで、自分が「はしごをかけたい先がどこなのか」ということに気づきます。
「家族を大切にしていきた人生」なのか「自分の好きなことを貫きとおした人生」か、あるいは、「多くの人に感謝された人生」なのか。
つまり、自分が生きていく中で大切にしたい価値観や指針にあらためて気づくきっかけになります。
これに気づくことで、生きていく中の大きな柱となり、選択しなければいけないときや、迷ったときに自信を持って前に進むことができるのです。
でも、私はこの問いに意図も簡単に出会えたときと、そうでないときがありました。
20代の自分は「自分の好きなことを貫きとおした人生」だと、この問いを通じて比較的すぐに気づきました。
しかし、30代になって改めてこの問いを自分自身に投げかけてみたとき、答えがよくわからなくなってしまったのです。
その理由は、おそらく年齢的な葛藤だと思います。
30代は、20代とちがって、色々な制約がでてきます。世間的にも女性であれば「結婚しているべき」という考えや、生物的に「子供が生めなく年齢が近づく」という不安の中で、どんどん自分の心が聞こえなくなっていってしまったのです。
望む姿が見えなくなっているのは、あなたが自分の感情に気づかないふりをしているから
世間の「~でなければならない」「~であるべきだ」というフィルターがかかってしまうと、自分の本当に望むことにアクセスできなくなるとお話しました。
そして自分の望みに気づかないふりをしつづけていると、いつの間にか本当に心の声が聞こえなくなってしまいます。
まずは、小さなことでもいいので、自分の心の声に素直に耳をすませ、
自分の望むものに気づく練習からはじめましょう。
例えば、朝起きたとき、なんだか調子がすぐれないことがあります。
そんなとき、自分の心を観察してみます。
「今日もまた忙しい一日がはじまるな」
→ 本当はゆっくり過ごしたい
「こんな寒い日に、なんででかけないといけないのか」
→ 本当は温かい部屋で過ごしていたい
この感情をまず、自分が受けとめてあげます。
そして「私は本当は、温かい部屋でゆっくり過ごしたと思っている」ということに気づきます。
無視すればその感情は見捨てられ、いつの間にか忘れてしまいます。しかし、忘れられたはずのその感情たちは、積み重っていくうちに、まったく湧き上がってこなくなり、感じることができなくなります。
つまり、自分が本当は何を望んでいるのかわからなくなっていくのです。
さきほどの例であれば、「私は本当は、温かい部屋でゆっくり過ごしたと思っている」ということに気づいてあげたなら、それを受け止めた上で、
「今日はいつもより早く帰ってきて、ゆっくり過ごそう」
「部屋でゆっくり過ごすのに、前から欲しかったブランケットを仕事の帰りに買って帰ろう」
など、自分を喜ばせてあげるようないわば「ご褒美」を用意することで、心がよみがえります。
さっきまで、なんとなく嫌ではずまなかった「心の正体」が見えたことで、自分でその心に対処する方法がわかるようになるのです。
一見「寒い中、会社にいって忙しい一日を過ごす」という行動面ではなにも変化がないように見えます。
しかし、自分の気持ちに気づき、それを受けとめてあげたことで、自分にご褒美をあげようという心の上で変化が起こります。
そして、ご褒美が待っているという楽しみによって、前に進む活力がみなぎります。
自分の望みは明確にされ、さらにそれを100%は叶えることはできなくても、そのうちの20%でも叶えてあげることで、心は満たされていきます。
そして自分の心を素直に感じるクセがつきはじめます。
そのうち、自分の望むことは、「叶えてもいい!」「叶えられる」という
自信がつき、本当にありたい未来をどんどん実現していけるようになるのです。
自分の望む未来に向かって歩いているという感覚がなければ、人は生きていけない。
人は、今日という日が、自分が望む未来につながっているという希望があるからこそ、生きていけるのではないかと思うのです。
例えば、「大変な仕事」や「わずらわしい家事」や「むずかしい勉強」も、その先の自分が望む未来を叶えるための「一階段」だと思えば、軽やかに昇れたりするものです。
しかし、そうでなければ、その「一階段」をのぼる意味が見出せなくて気力もわかず、とても大きな心労を伴います。
だからこそ、日々の「小さな自分の望みに」に気づくクセをつけ、自分のありたい「人生のゴール」を見つけてみてください。
そうすれば、あなたの今日は喜びにあふれ、未来はもっと輝いて見えるはずです。
そして、人生を振り返ったときに、自分が生きたいと思った人生を見事に歩いてきたことに気づくでしょう。
読んでくだっているみなさまの人生が幸せでありますように*